一本のフルートあるいは単調な物語  - I 氏に捧ぐ -

一つの部屋に一人の男が住んでいた。
男は若く貧しかったので何も持っていなかった。
一つのベッドと一つのテーブル。
テーブルの上には一本のフルートが乗っているだけだった。

一人の女が現れて男の妻になった。
男は部屋を出て、一つの家に引っ越した。
妻の持って来た嫁入り道具の洋箪笥や和箪笥や鏡台に囲まれて、男は何だか少し得をしたような気がした。

すぐに赤ん坊がうまれて男の家族が増えた。
産着やガラガラや哺乳瓶やおむつが増えた。
子供はつぎつぎに生まれて大きくなった。
絵本やランドセルや学習机やバットやグローブやお人形やピアノやテレビゲームが増えた。
大きな食器棚や応接セットや全自動洗濯機やエアコンが増えた。
男の背広や妻の着物や子供達のジーンズやスカートが増えた。
乗用車が増えた。
家と土地を買ったので家と土地が男の持ち物になった。
庭に植える草花が増えた。

押し入れの中には、婚礼の引き出物の食器類や快気祝のタオルの類いが段々うずたかく積まれていった。
一生のあいだに、決して使うことがないであろうクリスタルガラスのカップや漆器や銀のスプーンセット。
それらは男の知らぬ間に増えているような気がした。
押し入れの中で、やつらはひそかに増殖しているのではないかと思って、男は背筋が寒くなった。

男はときどき引っ越しをした。
引っ越しをするたびに、少しずつえらくなっていった。
引っ越しをするたびに、一切の所有物がついて来た。
しかしこの頃になると、男はもう自分が何を所有しているのか、よく分からなくなっていた。

男が新しい家に向かって歩いていく。
おーい、また引っ越しだぞい。

男の後ろに妻が、妻の後ろに子供達がついていく。
その後を、洋箪笥が和箪笥がテーブルが冷蔵庫がピアノが時計が本棚が机が椅子がステレオがカラオケセットがテレビがカメラがパソコンがぶら下がり健康器が美顔器がTシャツが下着類
が布団が座布団が油絵の額が山のような本が引き出物の包みが熱帯魚の水槽がアロエの鉢が靴が靴べらが電気掃除機が電子レンジが家族のアルバムが外国旅行のお土産が箸が茶碗がタコ焼きセットが味噌が醤油が梅酒のビンが歯ブラシが洗面器が爪きりが耳かきがその他わけの分からない家財道具の一切合切がゾロゾロゾロゾロついてくる。
行列のうしろの方なんかは、ぼんやり霞んで見えないくらいだ。

男は立ち止まり、一本のフルートを思い出した。
そして男の足どりはますます重くなったのである。


                                   
(Sept. 2005)

 


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