縁台将棋

 今の民主党政治を素人の縁台将棋にたとえた読売新聞のコラムを読んだ。なかなか面白い。さすがプロの記者だ。私も悪乗りして書いてみよう。


 ルーピー流のハーさんは、最初から愚かな手を指しまくって、あっという間に勝手に詰んでしまった。見物人はあまりのルーピー将棋に呆然。しかし本人はケロリとして、いまでも懲りずに後ろのほうから変なことを言っている。

 代わって駒を握った早逃げ流のカーさんは、いきなり中国漁船の体当たりを食らって狼狽し、受けを完全に読み違えた。一番いけなかったのは、部下に責任を押し付けて逃げる生来のズルさを、思わずさらけ出してしまったことだ。これで国民は完全に冷めた。

 お隣の中さんとローさんは、相手が弱いと見ると、かさにかかって攻めてくる独裁流である。漁船の体当たりも、半ば計算づくの仕掛けと見るのが妥当だろう。カーさんは指し込まれて慌てて「待った」をしたが、認めてもらえるはずもなく、大事な駒をいくつもむしり取られてしまった。

 そのあとは、次々に展開する難局を受ける手順が、ことごとく素人将棋。大局観も無ければ勝負勘もない。もう誰が見てもとっくに詰んでいるのに、カーさんは投了しようとしない。子供の将棋のように、王様を取られるまで逃げ回るつもりだ。

 愚かなハーさんと、小心者のカーさんのヘボ将棋をじっと見ているのがオーさんである。オーさんは、豪放そうな外見からは考えにくいが、実は根に持つタイプである。町内会の寄り合いでは、気にいらない相手を、策略を弄してことごとく潰してきた。しかし、いつも局地戦に熱中しすぎて時間を浪費し、何も大きな仕事をせずにきてしまったと悔やんでいる。

 いまオーさんは、取り巻きを直接間接に動かして、カーさんの将棋を潰しにかかっている。「マニフェストを守れ」という、できるはずのない無理難題を吹っかけるいつもの手だ。「政局」という得意の局地戦に、オーさんはまた燃えている。しかし、金の問題でつまづいて、最後を全うした政治家はいない。オーさんはもう終わりが近いのだが、取り巻き連中にはそれが分かっていないようだ。

 

                                     (March 2011)

 

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