初めて1個の原子を見た人

 「見る」ということの意味にもよるが、実際に初めて1個の原子を「目で見た」のはWashington大学にいたHans Dehmeltだろうと思う。

 私は1986年に断熱通過に関する論文を書いた (Y. Kayanuma, Population inversion in optical adiabatic rapid passage with phase relaxation, Phys. Rev. Letters, 58, 1934 (1986))。 するとすぐに、アメリカから緑色のインクで献辞の書かれた論文の別刷りが送られて来た。封筒の裏にもRead your Phys Rev Letters with great interest, HDと書かれていた。それがHans Dehmeltだった。

 このレビュー論文 (H. Dehmelt, Single atomic particle at rest in free space, Ann. Phys. Fr. 10, 777 (1985)) の中で、Dehmeltは1個の原子を研究することになった動機を語っている。

 ゲッティンゲン大学での学生時代に、電磁気学の講義で、先生のRichard Bekkerが黒板に白墨で点を打ち
「ここに1個の電子がいる」
と言った。Heisenbergの警告「観測可能なものだけを論ぜよ」を思い出しながら、Dehmeltは、どうしたら1個の電子、1個の原子を観測できるのだろうと考え続けた、という。

  個人的な思い出ばなしから始まる論文というのも珍しいと私は思った。

    Hans George Dehmelt

 私が論文を送ってもらってから3年後の1989年、DehmeltはWolfgang Paulとともに、イオントラップ法の開発の業績でノーベル物理学賞を受賞した。Dehmeltはイオントラップ法により、真空中に1個の電子や1個のイオンを捕捉することに成功し、この技術を用いて量子力学の基礎に関わる精密測定を行った。1個の電子のStern-Gerlach実験、mini-cyclotron運動の観測、1個または少数個の原子の量子飛躍の観測などが可能になった。

 原子イオンの光吸収エネルギーに共鳴する単色光を当て続けると、原子は光を吸収して励起状態に上がる。そして一定の寿命で光を発して基底状態に戻る。基底状態に戻った原子は、また光を吸収して励起される。1秒間にこのサイクル(光学サイクルという)は何万回も繰り返されるから、たとえ1個の原子の発する光でも「見える」ようになるわけだ。

 面白いのは光励起状態の下に、光遷移では基底状態へ飛ぶことのできない別の準位(禁制準位とか棚状態(shelf state)とよぶ)が存在する場合だ。励起状態に上がった原子は、ごく小さな確率で、ときどきこの禁制準位の方に落ち込んでしまう。すると、それまで光っていた原子がパタッと見えなくなってしまう。この状態は、弱い相互作用によって、原子が基底状態に戻ってくるまで続く。したがって、原子はチカチカと点滅を繰り返すことになるだろう。この点滅の時系列解析から禁制準位の遷移確率が分かる。なによりも、量子遷移は文字通り瞬間的ジャンプなのであって、徐々に状態が変わるわけではないことが分かる。何しろ1個の原子を見ているわけだから。

 当時、Dehmeltの研究室に見学に行くと、顕微鏡の視野の中で1個のBaイオンが青く輝いているのを見せてくれたそうである。この原子には女性の名前がつけられていて、皆のアイドルだったが、ある日、ふらっと居なくなってしまったということだ。

 Dehmeltは1922年にドイツで生まれた。第2次大戦ではドイツ軍に従軍し、バルジの戦いでアメリカ軍の捕虜になったりと苦労している。彼の業績は、その後の原子のBose Einstein凝縮やoptical lattice中のcold atomなどの研究大発展のさきがけになった。2002年にWashington大学を引退している。この時80歳。

 Dehmeltから貰った署名入りの封筒は、どこかに見失ってしまっていたが、最近、書類の山の中から出てきた。

 

                               (June 2010)

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