大脱出

 この6月、スペインのセゴビアで行われた国際会議DPC'07に行ってきた。私はこれまで外国出張では常に単独行動だったが、今回は行きも帰りも、現地のホテルでもTさんが同行してくれる。まめで英語が得意なTさんが一緒なので、私は気が楽だ。
「『ナントカ珍道中』にならないように心していきましょう」
「がってんだ」
出発前から気分はhighだ。

 国際会議の合間をぬってセゴビアの町や、バスで1時間あまりのマドリッドを見物した。セゴビアはカスティリヤ地方の小高い丘の上にある中世そのままのような美しい町である。会議の行われた大学も、古い教会がそっくり大学の学舎になっている。町には巨大なローマの水道橋が残っている。ウォルト・ディズニー作「白雪姫」の舞台のモデルになった絵のようなお城もある。私は大阪に帰るのが断然嫌になった。

 国際会議DPC'07の会場となった大学

 私のポスター発表もTさんの講演も無事終わり、最終日の翌日、マドリッドの空港からフランクフルト経由で帰国することになった。この会議には総勢80人を越す日本人が参加しているので、空港にはお友達がたくさんいる。

 手荷物検査も終わり、Spanair(スペインの航空会社)の搭乗口までやって来た。外国旅行で一番緊張するのは空港での出入国と搭乗手続きである。しかしここまで来れば、日本に帰ったも同然だ。
「やれやれ、何ごとも無く来ましたね」
「楽勝でしたね」
と話し合っていたのが神様の耳に届いたのかどうか。災難が降りかかった。

 搭乗予定時刻直前になって、運行掲示板から Frankfurt の文字が突然消えた。スペイン語と英語で何かアナウンスしているがよく分からん。どうやら運行がキャンセルになったと言っているらしい。おいおいキャンセルは客がするもんだろう。一同、騒然となる。キャンセルされた理由はSpanairのストライキだそうである。

 情報が錯綜する中で親切なアメリカ人(?)が、「4番ターミナルに行けと言っている」と教えてくれたのでぞろぞろと移動する。まずゲートを出て預けた荷物を取り戻す。4番ターミナルへの移動にはバスで15分もかかる。要するに別の飛行場である。航空券の窓口といったってどこだか分からん。どこもかしこも行列々々である。これは明日中には帰れないかも知れないと覚悟した。
「飛行機のトラブルで、とうとう日本に帰って来られなかったという人は居ませんからね」
とTさんが言う。当たり前だ、そんなことがあってたまるものか。

 やっとそれらしき受け付けカウンターを見つけた。すでに何列にも行列が出来ている。一番すいていそうな列に並んだ。しかし、一組ずつ行き先に応じて空席のある便を探しているので中々進まない。いったい何を相談しているのか、係員と何十分も話し合っている奴もいる。やっと代替便の航空券を手に入れた人は
「Good Luck!」
と皆に挨拶して去っていく。

 むこうの列には大学院生のグループが並んでいる。E大学から来ていた御夫妻は心配そうに別の列に並んでいる。I さんが、つぎつぎに割り込んでくる外人(?)を日本語でどやしつけたという話は後から聞いた。

 もうこうなったらトラブルを楽しむしかない。Tさんがアメリカで飛行機に乗り遅れた話をしてくれた。一月早く夏時間に変更されていたのに気がつかなかったのが原因である。搭乗口まで来てみたら、とっくに飛行機は飛び立った後だった。回りの連中が
「オー」「オー」
と同情してくれたそうだ。

 私達の前にならんでいた若い中国人の女性と話した。北京の情報関係の会社に務めていて、今回は一人で会議のために来たという。英語は上手だが、一人旅で心細そうだ。驚いたことにphysicsも知らないし、Newton, Einsteinも知らないという。 こちらの発音が悪かったのか?彼女はミュンヘン経由の便を確保して、ほっとした表情で去っていった。再見!

 やっと順番がきた。応対してくれるのは、スペイン美人のおねえさん。こういうトラブルの窓口にはチャーミングな女性か毛むくじゃらのマッチョしか向かないだろうと思う。しかし、別会社とはいえ、自国のストライキで迷惑をかけているのに、一言も謝らないのは立派なもんだ。パソコンの画面を見ながら、6時間待ちでロンドン経由の便があると教えてくれた。これなら夜には大阪に帰れる。一も二もなくそれを予約してもらった。二人分の昼食が無料になるという券をもらって、
「グラシャス、グラシャス」
を連発してしまったのは、いま思うと少し情けない。

 こんなもので誤魔化すな でも旨いぞ

 日本人の仲間もちりぢりばらばらになってしまった。皆、てんでに落ちのびて行く感じである。行き先のロンドンが悪天候なので飛行機の出発が遅れるという。乗り継ぎ時間はあまりない。心配性のAさんが、いろいろ悪い予想を嬉しそうに並べてくれる。もうどうにでもなれ。

 ロンドン・ヒースロー空港でのドタバタは割愛する。Iさんには空港の中を走り回されるという苦難の道が待っていた。Tさんに言わせれば、関ヶ原の合戦における島津藩の敵中突破による総退却のような脱出行であった。

 大学に戻ると、廊下で、同じ会議に参加していた大学院生のB君に出会った。彼らはパリに飛ばされ、上海経由で帰ってきたという。
「飛行場で走ったけれど、私だけとり残されてしまった」
とB君は憮然とした表情で語った。この分では、まだ一人ぐらい帰ってこられないでいる人がいるかもしれない。

 

                            (June 2007)

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