断ということ

 マスコミのいわゆる差別用語の行き過ぎた自主規制に抗議して「断筆宣言」をした作家がいた。流行作家といってもよい人だったから、私はひどく驚き、かつ、その潔さに感心した覚えがある。同時に「この人は後半生をどうやって生きて行くのだろう」と少し心配もした。

 ところが4、5年も経つかたたぬうちに、彼は「執筆再開宣言」をして、また書き始めた。私は「おい、おい、そりゃないぜ」という気持ちだった。そりゃ断筆ではなくて休筆だろうが。

 「断酒の会」というのは、アルコール依存症を克服するために、生涯二度と酒を飲まないことを誓いあった人達の集まりであって、「しばらく酒を飲まないことにした」人達の集まりではないだろう。琴の名手が、自分の琴の演奏を真に理解してくれていた親友の死に遭って、悲嘆のあまり琴の絃を断ち、二度と手にすることがなかった。これを「断絃の悲しみ」という。「決断」、「断罪」、「果断」など、「断」という字には、何かを断ち切り、二度と振り返ること許さない厳しさがあるはずだ。

 私はこの作家の書いたものを一つも読んでいない。そそっかしい私は、「断筆宣言」を聞いて、感激のあまり書肆に走り、彼の作品を買い求めようかと思った程だ(行かなかったけれど)。彼にとっては、「断筆宣言」は水道の「断水通知」程度のことにしか過ぎなかったようだ。

 

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