コンセプト顔

 ときどき、見ず知らずの方から励ましのお便りメールをいただく。このホームページのファンの方が、日本全国に2名 乃至 3名はいるらしい。「早く更新して下さい」と言われることもある。これまでは土日の勤務時間外に、適当に更新してきたが、近頃、 多忙がいそがしいーッ という状態で勤務時間外というものすら無くなってきた。しかたがないので、今回も昔書いてボツにしておいた文章をアップしておこう。ボツにした理由? 読めば分かる。

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 コンセプトが露骨にあらわれている顔を「コンセプト顔」という。この他に「エコロジー顔」、「アナログ顔」、「テクノ顔」なんかもあるが、ここでは割愛しよう。

 と、ここまで読めば、今回はとりわけしょうもない話になりそうだと分かるだろう。良い子のみんなはこの先、読むのをやめて、すぐにお勉強に戻ろうね。

 「えなりかずきはコンセプト顔である」と書けば多分、分かってもらえるだろう。この少年(?)タレントの顔がテレビに登場した時は、そのあまりにあからさまなコンセプトに私はギョッとした。言っちゃ悪いが唄なんか歌っていたころの西田敏行もコンセプト顔である。(最近はいい芝居をするようになったが。) ものすごく古いところでは、自分の顔を商標登録した柳家金語楼はコンセプト顔の元祖だった。禿げ頭が売り物のこの噺家が高座に座ってお辞儀をすると、それだけでお客さんがクスクス笑い始めた。「わたし、まだ、なんにも言ってないんですけど・・・」というのが得意のせりふだった。私は子供ごころにケーベツしていたけれど、今ならその理由が言える。

 くさい芝居をする芸人は、おおむねコンセプト顔である。「コンセプト顔の芸人」と「個性のつよい芸人」の違いは微妙だが、厳然と存在する。偏見によれば、財津一郎や伊東四朗はクセは強いが味のある俳優だと思う。坂上二郎もよい芸人だ。木村拓哉は俳優としては、まだコンセプトに頼り過ぎだ。この違いがお分かり頂けるかしら?死んだ天知茂なんかは、思わず味噌汁を噴いちゃうほどのコンセプト顔だったが、あそこまで行けば逆にそれが芸になっていたかも。

 要するに既存の陳腐なキャラクター概念に頼るだけで、芸もひねりも無ければコンセプト顔になるのだ。「ああ、またそれね」と思われてしまう。人間、誰しも自分が何物であるかというコンセプトなしに生きては行けないけれど、それが露骨に出ちゃうとだめなのね。「コンセプト顔の研究テーマ」なんていうのもあるかもしれない。


                                   (Dec. 2007)

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