One boy

平成28年2月2日の産経Webニュースから

『川崎市川崎区の多摩川河川敷で昨年2月、中学1年、上村(うえむら)遼太さん=当時(13)=が刺殺された事件で、殺人などの罪に問われたリーダー格の少年(19)=同(18)=の裁判員裁判の初公判が2日、横浜地裁(近藤宏子裁判長)で開かれた。 少年は「間違いない」と起訴内容を認めた。
関係者によると、傷害致死罪で起訴された少年2人のうち1人は関与を否認、もう1人は切りつけたことを認めているが、「リーダー格に脅されてやむを得なかった」と主張しているという。』

13歳の中学生を三人がかりで暴行して殺した。警察の追及を逃れるために証拠隠滅と口裏合わせをした。こういう事件の報道を耳にするたびに、激しく違和感を覚えるのは「少年」という言葉の使い方である。なぜ「リーダー格の男(19)」ではいけないのか? 彼らは絶対に「少年」ではない。

 

わたしにとって少年とは、チャールズ・リンドバーグが言ったとされる言葉に代表されるようなものだ。

 One boy is a boy.
 Two boys are half a boy.
 Three boys are no boy, at all.

 一人の少年は少年である。
 二人の少年は半分だけ少年だ。
 三人集まったら少年なんていうものじゃない。

 

風の中に一人で立っている。 海賊になることを夢見ている。 木の枝にとまって春を待っている。 自分を恥じてうなだれている。 笑っている。 泣いている。

それがどこにでもいる少年だ。あなたやわたしの中に、今でも棲んでいるかもしれない少年だ。




                                          (Feb. 2016)

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