僕はいま、そのわけを知っている

 研究者はなぜ研究者になるのだろう?それにはきっと人さまざまの動機があるのだろう。だから質問を変えてみよう。研究者はなぜ研究者でいるのだろう?

 水素から始まる恒星内部の核反応経路に効率の高い共鳴準位が関与していることを発見し、星のエネルギーの起源を解きあかしたベーテ(あるいはガモフだったかも知れない。私の記憶はいい加減だ)の逸話。積年の謎を解く論文を書き上げた夜、若いベーテはガールフレンドとデートに出かけた。夜道を歩きながら

ガールフレンド「ああ、星達はどうしてあんなに美しく輝いているのでしょう?」
ベーテ「僕はいま、そのわけを知っているんだ」

 いまこの瞬間、世界中で自分だけが自然の謎を解く鍵を握っている、という経験を一度でもしたら、その人はもう研究者をやめることは出来ない。それがノーベル賞級の発見のこともあれば、ささやかな発見のこともある。しかし、それは後から決まることであって、その瞬間の喜びには何の違いもないだろう。そしてとても不思議な事だけれど、たとえ後になってその発見が完全には正しくないことが分ったとしても、その時に感じた喜びの記憶は残るのだ。

 もちろん、こんな瞬間はそう頻繁におとづれるものじゃない。ほとんど毎日の研究者の仕事は、しんどい実験や計算や勉強の連続だ。しかし、神様の手が肩に置かれるその瞬間はある日やって来る。3年に一度、いや5年に一度でもそれがあれば、研究者は生きていける。研究者は発見の喜びを食って食いつないでいるのだ。

 それは貴方が教授であるか助手であるかには関係ない。貴方が人格者であるかどうかには関係ない。貴方が沢山の論文を書いたかどうかにも関係ない。発見の喜びにくらべれば論文倍増計画なんてお笑い草だ。

 この夏、私は小さな発見をした。既存の理論では説明できない実験データを眺めていたら、結晶の中で何が起こっているのか、突然、理解できた。そして世界中の誰も気がつかなかったある現象を見つけた。気がつけばとても簡単な事だから、私は妻にまで図を描いて説明しないではいられなかった。傍らに猫しか居なかったら、きっと私は猫にだって説明しただろう。妻は「フン、フン」と分ったような分からないような生返事をした。
「僕はいま、そのわけを知っている」
と、私は小さな声でつぶやいた。

:これは正しくはフリッツ・ハウターマンスの逸話。その上、ベーテ、ガモフ、ホイルらの業績と混線している。宇宙創成研究に関する正しい歴史は、各自で調べてください。

                              (Aug. 2005)

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