バルセロナでカモになる

この夏、国際会議でバルセロナに出かけた。国際会議もバルセロナも良かったが、今日はカモになった話をしよう。

  出発の前に、ベストセラー「○○の歩き方」やWebの旅行案内などを読むと、「バルセロナにはスリや置き引きなどの路上犯罪が多い」といやになるほど書いてあるので、絶対に無傷で帰ろうと決心してやって来た。闘志満々である。

  バルセロナには深夜に着いた。翌日は夕方に参加登録があるだけなので、国際会議の会場でもある市近郊のホテルを出て街まで見物に出かけた。知人のTさんと一緒である。下町見物をしてバルでおいしいビールを飲み帰路についた。

  カタルーニャ広場の地下鉄駅は少し混雑していた。地下鉄がちょうど発車するところだったので、Tさんが駆け込み、私があとから乗り込んだら中年の女性が目の前に立ちふさがって進路を邪魔した。彼女はプラットホームにいる誰かを待っているようなそぶりをして動こうとしない。私は少しむっとしたが、スペイン語で「どいてくれ」をなんというのか知らないので一瞬、立ち往生になった。

 次の駅で別の郊外鉄道に乗り換える時に、ズボンのポケットから財布が消えていることに気づいた。駅の連絡通路で焦って持ち物の点検を始めたら、目の前の売店の兄ちゃんが、壁のポスターを指さす。そこには「スリに注意」と日本語も含め各国語で書いてある。ハイハイ、やられました。

 どうも私の後から乗り込んできた複数の男たちと女がグルだったようだ。財布を入れていたのはズボンの左前ポケットである。そこから、2,3秒の間に後ろの男が盗んでいったのだ。超絶技巧と言ってやりたいが、手口としては古典的手法である。財布には現金が100ユーロほど、運転免許証、クレジットカード3枚、大学の身分証明書(ICチップつき)、自分の名刺数枚、それに町の図書館や病院のカードなどが入っていた。財布と一緒にポケットに入れていた地下鉄の回数券も盗られた。

 クレジットカードが一番心配なので、大急ぎでホテルに帰り、カード会社に国際電話。幸いなことに、すべてのクレジットカードのコピーを持ってきていたので、連絡先もカード番号も分かった。カードはキャッシング機能つきにしてある。カード会社に電話が通じると、どこも、慣れたものですと言わんばかりにテキパキ対応してくれた。驚いたことに全てのカードで、1時間ほど前(つまり盗まれた直後)に現金引き出しの試みがあったという。これはオペレーターが電話で私と対話しながら調べてくれたのである。

 カードには全てパスワードが掛けてある。それが効いてすべての試みは失敗したようだ。 運転免許証も盗られているので、泥棒たちはその個人情報からパスワード(暗証番号)を推定したのだろう。残念ながら、そこまで私は単純じゃない。結局、すべてのカードを使用停止にしてもらった。翌日、警察署に出向いて盗難届を提出、被害証明書(スペイン語でDenuncia)を発行してもらってきた。ものを盗まれたのも、警察に出頭したのも生まれて初めてである。

 後知恵ながら私の得た教訓。
(1)入口で泥棒たちに囲まれたとき、どうすればよかったのか?多分、正解は「すぐに下車する」だったのだろう。
(2)敵はこちらが一瞬あわてるような状況をつくって攻撃してくるので落ち着いて対処。
(3)クレジットカードを複数持っていくときは、入れる場所を別々にするべきだった。
(4)カードの情報は必ず別に持って行く。
(5)財布には鎖。ズボンの前ポケットも安全ではない。
(6)先頭と最後尾の車両には載らない(混んでいるので)。駆けこまない。
(7)不幸中の幸いはパスポートを身につけていなかったことである。これはホテルの金庫に入れてコピーを持って外出した。

 会議の最終日、市内のエクスカーションがあった。有名なサン・パウ病院の前で見物していたときのこと、隣にいた別のグループの女性ガイドと私たちの女性ガイドが、急に大声で叫び、一人の男を追ってかけだした。その男は見物客の荷物を置き引きしたのである。彼は盗んだ荷物を放り出して逃げた。バルセロナは楽しい街だが、まぎれもなく一大犯罪都市である。


追記:スペインから帰国して3週間ほど経ったころ、東京工業大学の研究院事務室から全教員あてに電子メールで「外務省のスポット情報」なるものが送られてきた。香港やハイチの政情不安に関する情報にならんで「スペイン:バルセロナ市における治安悪化に関する注意喚起」という項目がある。「2019年8月、カタルーニャ州警察は昨年に比べバルセロナ市における殺人事件が倍増したほか、強盗事件が30%増加するなど治安が悪化している旨を発表した」とある。カタルーニャ警察署は、私が盗難届を出したところである。外務省情報によれば、外国の政府高官がひったくりに遭い、転倒して頭を打って死亡するという事件まで起きたそうだ。


                                        (Aug. 2019)

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