アガメムノンの脳 - 私の心身論序章 -

 私の心はどこにあるか?


 その国の統治機関が置かれた巨大なビルの一室に、アガメムノンの脳と呼ばれる「彼」は居た。摂氏36度に保たれた人工髄液が循環する強化ガラス製の容器の中で、人工血管と神経束に繋がれ、灰色の脳はゆっくりと揺れていた。

 国中に張り巡らされた情報網から全ての情報が彼にもたらされていた。ビルのフロアの大半は、複数のスーパーコンピュータによって占められており(それも彼が命じて作らせたものである)、必要に応じて彼の思考を助けた。

 アガメムノンの脳は、国家統治の智恵のかたまりだった。国の経営とは、要するにそのホメオスタシスを健全に保つ健康法に尽きるのだ。暴走しそうな経済活動を抑え、停滞した組織を活性化し時には非情に切り捨て、彼は日夜働き続けた。実際、国家は彼にとって巨大な身体のようなものだった。それなら、無駄な生身の肉体などどうして必要だろう。統治される人民は、彼にとって憐れみの対象にすぎなかった。

 彼が一体、何歳なのか、もとはどのような人間だったのか、知っているのはごくわずかの人間だけだった。

 そして、これは国民の多くが知らないもう一つの秘密だが、アガメムノンの脳も夜は眠るのだ。

 短い眠りの中で、ときおり彼は夢さえ見た。遠い昔のはるかな記憶。夏の日に仲間たちと身体が冷えきるまで泳いで下った冷たい川の流れ。たった一人の夜、耳を澄ませて聞いていた雪の降る音。黙って、笑って、去っていった少女達の髪の匂い・・・。

 大都会が白々とした夜明けを迎えるあの時刻、アガメムノンの脳は悲嘆の叫びをあげた。しかし彼には、肺も、気管も、声帯もなかったので、その声を聞く者はなかった。


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 外界とは隔てられた「私のからだ」があって、私の心はそのどこかに宿っている。そして私の心は私のからだを通じて外界と接している。これは本当のところは大きな錯覚なのだが、私たちが暮らしていく上で、なくてはならない錯覚である。私たちの心とからだは、そのように作られている。

 オリヴァー・サックス著「妻を帽子とまちがえた男」(高見幸郎、金沢泰子訳 ハヤカワ書房)には、脳と神経の損傷のために、この幸福な錯覚が破られてしまった人々の驚くべき症例が、いくつも紹介されている。

 外界を感知するために人間に備わった五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のほかに、「固有感覚」とよばれる六番目の感覚がある。それが分かったのは、それほど古いことではない。固有感覚とは、私が外界の中での私の肉体の「位置」や「存在」を感じ取る能力のことである。普段はそれが存在することすら意識せずに暮らしている。その固有感覚が障害を受けるとどのようなことになるだろうか?


 クリスティーナは当時27歳。乗馬とホッケーを趣味とする活発な女性だった。ある日、突然の腹痛から胆石があることが分かり、胆嚢摘出の手術を受けるために入院する。手術に備えて抗生物質の投与を受けた後、異変が生じる(第一部第三章「からだのないクリスティーナ」)。

 まっすぐに立っていることはおろか、ベッドに身を起こすこともできない。努力しなければ喋ることもできず、しっかり手を見つめていなければ、手を思いどおりに動かすこともできなくなる。
「からだが無くなってしまった。へんな感じなんです」
とクリスティーナは脳神経科の医師である著者に訴える。

 検査の結果、末梢から中枢に向かう神経が損傷され、頭からつま先まで全身の固有感覚が失われてしまったことが明らかになる。一年間のリハビリにもかかわらず、神経線維の損傷は二度と回復することはなかったが、クリスティーナは視覚や聴覚を総動員して固有感覚の欠損を補うための努力を重ねる。姿勢を保つためにはたえず意識してバランスをとらねばならない。話すときは、俳優のように声を作りださなければならず、顔の表情も意識してこしらえなければ無表情で不気味なものになってしまう。

 今ではクリスティーナは退院し、発症前の職業だったコンピューターの仕事に復帰するまでになった。動きはぎごちないが彼女は一見、回復したように見える。しかし、固有感覚を失ったままなので、あいかわらず「自分のからだが存在しない感じ」は薄気味悪く続いている。

 これは感覚の暗闇、無音の状態であって健常者には想像することすら難しい。クリスティーナはからだをなくした魂であり、生霊のようなものである。

 彼女は自分を「脊髄を抜かれた実験用のカエルのような女」と言って泣くことがある。クリスティーナは、一生「からだをなくした」状態で生き続けなければならない。彼女は「からだのない」まま生き続ける最初の人間なのである。


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 パスカルには、彼とともに動く深淵があったという。この深淵は、いつも彼の左側に口を開けていたそうである。


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 高等学校の一年生だったときに、私が現代社会の講義を受けた教師は、いま思えば筋金入りのマルクス主義者だった。前髪を垂らした暗い顔で、ぼそぼそと講義する彼の姿を覚えている。彼はマルクスの拡大再生産論を、毎週ほとんどそれだけを、黒板に図を描いて、うまずたゆまず私たちに説明した。それは妙に合理的で説得力があった。

 しかし、私が彼から受けた本当の影響は、それではない。あるとき、彼はバークリーの唯心論について、ほんの少しだけ話してくれた。十六歳の私にとって、それで十分だった。

 存在するのは私の心だけ。この固い椅子も、壁のしみも、遠くで聞こえるバイクの音も、友人たちの話し声も、全部、私の心の作りだしたものではないと、どうして言えるだろうか?私が外界と思っている世界のすべてが、きわめて複雑に精巧に作られた幻影でないと証明できるだろうか?

 もし、その時にこの問題をもっと真剣に考えていたら、きっと私の人生は違ったものになっていただろう。私は、多分、本能的に危険を感じたのだろう、この問題を棚上げにすることにした。私はそれ以後、とりあえず外界は存在する「かのように」生きることにした。外界はあまりによくできていて複雑だったので、私はほとんどこの問題を忘れて暮らすことができた。

 外界はしばしば私を苦しめ、ときに愉悦を与えてくれた。私は結婚し、職業を持ち、家庭を持った。外国旅行をし、音楽を聞き、病気をし、引越しをした。私は決して外界に向かって、お前は本当は存在しないかも知れない、などと口を滑らすことはなかった。

 いまなら私は,外界が存在する方に賭ける。

 しかし、いまでもときに、バークリーの問題が心をかすめることがある。私は少しヒヤリとして立ち止まる。私が何となくうわの空で、現実感覚を失っているように見えることがあるとしたらそのためだ。私はあの高校教師に遅効性の毒を盛られてしまったのかも知れない。


                                         (Feb. 2011)

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