物理のソーカル事件?

 最近、へんな論文を読んだ。

 まずソーカル事件について知らない人のためにWikipediaから抜粋して紹介しておく。

******************* ここから引用 *************************

 ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal、1955年-)が起こした事件。数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた無意味な内容の疑似哲学論文を作成し、これを著名な評論誌に送ったところ、雑誌の編集者のチェックを経て掲載されたできごとを指す。

 1994年、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカルは、当時最も人気のあったカルチュラル・スタディーズ系の評論雑誌の一つ『ソーシャル・テキスト』(Social Text)に、『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)と題した疑似論文を投稿した。この疑似論文は、ポストモダンの哲学者や社会学者達の言葉を引用してその内容を賞賛しつつ、それらと数学や理論物理学を関係付けたものを装っていたが、実際は意図的にでたらめを並べただけの意味の無いものであった。

 ソーカルの投稿の意図は、この疑似論文がポストモダン派の研究者によってでたらめであることを見抜かれるかどうかを試すことにあった。疑似論文は1995年に受諾され、1996年にソーシャル・テキスト誌にそのまま、しかもポストモダン哲学批判への反論という形で掲載された。当時同誌は査読制度を採っておらずこうした失態を招き、編集者は後にこの件によりイグノーベル賞を受賞している。

****************** ここまで引用 ***************************

で、問題の論文だが

Asking Photons Where They Have Been, A. Danan, D. Farfurnik, S. Bar-Ad, and L. Vaidman, Phys. Rev. Lett. 111, 240402 (2013)

である。これは Viewpoint in Physicsの対象にも選ばれている。

彼らの実験結果は図1のとおりである。

    図1

 全体がMach-Zehnder干渉計の一部を小さなMach-Zehnder干渉計で置き換えた入れ子構造になっている。左上の光源から光線が出て、最初のビームスプリッターで二つに分けられる。下方に行った光はミラー C で反射して光検知器 D に到達する。この検知器は受光面が4分割されていて、それぞれの光強度分布を独立に測定できる。一方、右に行った光は入れ子になったMach-Zehnder干渉計の光回路を通過する。ただし、光路差を調節して、上から3つ目のビームスプリッターで100%下方に飛ばされ、ミラー F には行かないように設定されている。これは図を見ればわかるでしょう。すると受光器 D に到達した光は100%下の経路を辿ったものだけになり、ミラー A もミラー B も通過しなかったはずである。


 ミラー A, B, C, E, F には振動装置が取り付けられていて、それぞれ異なる振動数で水平軸を中心に傾きを変えるような微小振動をしている。この振動はわずかに光の光軸を上下にゆするので、受光器 D の上半分と下半分に来る光の強度差が振動し、その振動数が「光がどの鏡を通ったか」の目印になっている。


 測定結果が右のグラフである。すると驚くべきことに(the surprising resultと論文では言っている)ミラー C の振動数 fC だけでなくミラー A, B の振動数 fA fB の成分も観測されているではないか。光は通らなかったはずの経路の情報も記憶しているのだ!(と、ここまで書いてアホらしくなってきた。)


 著者たちは、この結果を説明するのに量子力学の時間反転に関するAharonovらのpost selection理論を持ち出している。フォトンの経路を逆にたどる状態ベクトルと順方向にたどる状態ベクトルの重なりが重要な意味を持っているらしい(私には理解不能)。


 量子力学では、直観に反することがときどき起きるから、私も「もしかしたら深い意味がある実験なのかも・・・」と一瞬思ってしまった。(実は半日考えた、コンチクショー。)しかし、よく考えれば、これは1フォトンではなくて普通の光を用いた、学生実験レベルの光学実験だから量子力学など関係あるはずがない。実は論文の表題からしてまやかしなのだ。

 実際、手品のネタバレは彼ら自身もサラッと書いている。ミラーの振動によって光軸が少しずれるから、 Mach-Zehnder干渉計で破壊的干渉によって消えるはずの経路(ミラー F への経路)への光もわずかに打ち消し合わずに残る。それが D に混ざりこんでいるのである。検知器の受光面の上半分と下半分のシグナルの差を取っているから、fA ,fB, fC が同じ強度で観測され、fE fF は見えない。ようするに「光の干渉実験をやるときはスポットをきっちり合わせましょうね」という話である


 Supplement materialsには次の図2も出ている。

 

    図2

 ミラー F と最後のビームスプリッターの間に遮蔽物を入れると、ミラー A, B の振動が消え、ミラー C の振動成分だけしか見えなくなる。これを著者らは逆向きに進む状態ベクトルがブロックされるからだと言う(緑の破線)。あのねえ、これは単にミラー F から来る漏れ光がブロックされるからでしょう。


 量子系は全体で一つのセットという「非局所性」を持っている。そのため、「量子無相互作用測定」のような直観に反する現象も起きる。しかし、そういうものを観測しようと思ったら、1光子レベルの精細な実験をしなければダメだ。

 
 論文の著者の一人である L. Vaidmanはweak measurementの理論などで有名な理論家である。この話はひょっとしたらVaidmanの悪ふざけなのだろうか?この論文を採択し、Viewpointに選んだPhys. Rev. Lettersの編集者はイグノーベル賞に値するかも知れない。この論文は日本の数理科学系雑誌でも絶賛紹介されている。

 


 以下はこの論文とは無関係な某国の某研究室での、ある日の会話である。

D(ポスドク)「ボス、不思議なデータが取れました」

V(教授)「まーたお前か。今度はなんだ?」

D 「フォトンは通らない場所の情報も知っているという凄いデータです」

V 「これか・・・。うーん」

スタッフ全員 「ワイワイガヤガヤ ああでもないこうでもない」

V 「ああ、分かった。これは漏れ光を見ているんだ」

スタッフ全員 「なーんだそうか」

V 「いや、これは案外面白いぞ。このデータにpost selection, two state vector formulation, weak measurementといったポストモダンのキーワードを散りばめてPRLに投稿してみよう」

  ・・・・・以下省略・・・・・

 

                                 (April 2015)

目次に戻る