2016年 秋

10月1日(日)〜10月8日(日) カシス

 南フランスのカシス(Cassis)で行われた強光子場の国際会議に出席した。

カシスはコート・ダジュールに隣接するプロヴァンス地方の小さな港町だ。日本は不順な天候続きというのに、地中海ではこの青空。


 会議は波止場にあるコンベンションセンターで開催された。参加者の多くは港の周辺にホテルを取っている。ところが私のホテルはこの写真に見える丘の中腹にあって、すごい坂道を毎日往復することになった。道が海抜ゼロメートルからまっすぐ上に向かっていて、登山で言う「直登」というやつである。

おかげで運動不足解消。

 

10月15日(土) 小石川高校クラス会

 他用のため2年続けて欠席してしまったが、今年は参加できた。幹事は無論、名幹事のK君。
場所は巣鴨の魚料理屋で母校にも近い。今年は女性3名を含む18名ほど出席した。


 幹事の近況報告で、今は九州に住むS君の奥さんが亡くなったという悲しいニュースを聞いた。
S君と私は在学中から妙に気が合って、葉書やメールで消息を伝え合っていたのだが、今年の夏に突然、連絡が途絶えてしまった。電子メールを出しても返事が来ない。少し気にはなっていたのだけれど・・・。
実はS君はパソコンのたぐいが苦手で、電子メールも奥さんが代筆していたのだ。

 S君夫妻は、私たちが仙台にいたころ、東北地方を旅行中に駕を枉げて来宅してくれたこともある。


 帰宅後にお悔みの手紙と哀悼の花束を贈った。後日、私の留守中にS君から電話が来た。電話を受けた妻の話では淋しそうだったということだ。


 こんな状況なので、クラス会の方も今年は何だか意気が上がらない。いつもは2次会、3次会、カラオケと盛り上がって行くのだが、今回は喫茶店で流れ解散となってしまった。

 

10月26日(水) 薔薇

 物性研究所の大学院生時代に同期だったS君から手紙を頂いた。すでに会社を定年退職し、いまは埼玉県内の自宅で細君と薔薇作りの毎日である。ついては昔の友人数名をお招きして、ワインと薔薇を楽しんでいただく計画を立てたので来なさい、というお誘いである。一も二もなく賛同してお招きにあずかることにした。

 当時のS君の所属は矢張り物性理論の研究室だったが、私とは少し分野が違うので研究上のおつきあいはあまり無かった。学位を取った後、二人ともなかなか就職先が無く、苦労した仲である。
東京タワーの下にある機械振興会館に入っていた「電子工業振興協会(電子協)」にアルバイトに雇っていただいて大いに助かったが、その時、ご一緒だった縁で親しくなった。

 武蔵野線の最寄駅の前で待っているとS君が車で迎えにきてくれた。
本日の参加メンバーは、物性研以来のS君の友人4人。うち、都内の私立大学を定年退職されたMさんは、私も良く知っている。

 美味しい料理とお酒を飲みながら話が弾んだ。共通の知人友人も多い。

 そのうちに、私以外の全員が埼玉県の住人であることが判明した。

 埼玉県人の気質は、私に言わせれば「おおまか」「実利的」「言っちゃ悪いがセンスに難」である。要するに「神経質」「気位高い」「繊細な美的センス」の真逆。

 これは電車の駅名ひとつをとっても分かる。京浜東北線を都内から北上すると、「南浦和」「浦和」「北浦和」と続く。私はここを通るといつも脱力してしまうのだ。「川口」の次が「西川口」だが、今回、武蔵野線に「東川口」、「東浦和」、「南浦和」、
「武蔵川口」、「西浦和」があることを知った。埼玉県には川口と浦和しかないのか?何か少しは考えろよ。

 いよいよ庭に出て薔薇を拝見する。広い敷地の半分が薔薇の栽培に使われている。薔薇のためのビニールハウスが二つも建っている。薔薇栽培は実は奥さんの趣味なのだが、コンテストにも優勝するほどで、その腕前は趣味のレベルを越えている。今は秋薔薇のシーズンの終わりなのだそうだ。

 おいしいワインを頂いて、満開の薔薇であふれた庭を散策。まさに「酒と薔薇の日々 (The Days of Wine and Roses)」。ただし、この映画はアルコール依存症に苦しむ夫婦の話だ。今は美しいテーマ音楽だけ想い出そう。

 帰り際に奥さんが、お土産にと全員に薔薇の花束を包んでくださった。帰宅後に有りあわせの花瓶にそれを生けて玄関に飾った。急いで写真を撮ったので、周りに余計なモノが写りこんでしまった。

 

10月28日(金) 新橋界隈

 関西に住むKさんから連絡があり、東京に来ているというので会うことになった。いつも二人で古い東京の面影を求めて街をブラブラするのが恒例となっている。

 今回は私の提案で、新橋近辺を歩いた。

 新橋駅前のSL広場で落ち合い、愛宕神社に向かった。ここの石段の勾配は半端じゃない。

 寛永年間に、参拝した将軍家光の命に応じて丸亀藩士の曲垣平九郎が、馬でこの石段を上り、境内で梅の枝を折りとって、また馬で降りてきたという逸話が残っている。徒歩で登り降りするのでさえ足がすくんでしまうほどの急勾配である。その上、途中に踊り場が無いので登るときは一気に登らなければならない。


 この日は雨が降っていたので石段は滑りやすい。私は足元だけを見ながら恐る恐る登っていった。Kさんは手すりにつかまりながら慎重に登ってきた。

  後から思うと、年寄り二人で少し無謀なことをしてしまったかも知れない。それにしても曲垣平九郎は偉かった!

 愛宕神社にはこれ以外にも歴史上の逸話が多い。幕末には桜田門外の変に参じた水戸と薩摩の浪士たちがここに集結して出撃したという史実がある。当日は雪模様だったというが、彼らもこの石段を登り、そして降りていったのだろうか?


 私たちは、山上にあるNHK放送博物館を見学。女坂の方を下りて虎の門ヒルズを見物した。その後、銀座まで戻り七丁目のビヤホール「ライオン」に入る。

 ここはドイツのビヤホーフのような古い造りで壁には面白い壁画もある。昔、岳父に連れられて来た店だが中はぜんぜん変わってない。今日はKさんの語る近・現代史の薀蓄に耳を傾けながら旨いビールを飲む。

 

10月29日(土) 法事

 翌日は小石川のお寺で母方の伯父の7回忌があった。参列者は私ら夫婦と妹に義理の伯母さん叔母さんと従弟達およびその連れ合い。私の母親は高齢のため不参加。


 我が家とは長年のお付き合いである和尚さんの読経とお話(いつも声が小さくて聞こえん)の後、別室で食事。私が従兄弟の中ではダントツの最長老なので、献杯の挨拶をさせられた。

 伯父は亡くなるまで姿勢の良いお洒落な人だった。生前に自分の戒名を「粋好院なにがし」と決めたが、お寺の宗旨によって「粋光院」に変えられてしまった、とぼやいていた。要するに粋を好む江戸っ子である。

  その伯父の行年に、私も六歳ほど近づいたわけだ。従弟たちも歳をとってその次の世代が結婚しはじめた。「歳をとると全員同い年になってくる」という私の理論が証明されつつある。


                                        (Oct. 2016)

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