論文倍増計画

 数学者ガウスは「研究の成果が完成された芸術作品のごとき形式を具えることを重んじ」、意に満たない結果をなかなか公表しようとしなかった。ガウスの使っていた印章には、わずかな数の実をつけた木が描いてあって、ラテン語で「スクナケレドモジュクシタリ」と彫ってあったそうだ(高木貞治「近世数学史談」)。こんな研究スタイルが許されるのはガウスのような王様クラスだけであって、われわれ平民は何とか論文の数を増やさないことには生き残れない。なにしろ目方でかせぐ時代である。

 最近、筆者は、有名な理論家K教授が執筆中の「論文倍増計画試案」なる論文の下書きを入手した。K教授の許しを得て、ここにその骨子を紹介しておこうと思う。K教授の推奨する論文倍増法は以下のとおりである。

銅鉄主義
 論文倍増法の王道は、何といっても銅鉄主義に尽きる。(若い方々のために解説しておくと、「銅鉄主義」とは、「銅で測ったから次は鉄で測ってみよう」という由緒正しい研究スタイルである。)これなら同じ発想、同じ実験手段で元素の数だけ論文が書ける。3d遷移金属なら10編、希土類なら14編、今流行の3元・4元系酸化物なら遷移金属と希土類の組み合わせで10×14=140編も夢ではない。銅鉄主義を馬鹿にしてはいけない。一生、銅鉄主義で通す人だっている。
 理論家でもab initio計算をしている人には、銅鉄主義が役に立つ。
「Siではこうなります」
「あのう、私が知りたいのはGaAsなんですが」
「それは、もう一度計算してみないと分かりません」
という具合に物質の数だけ論文が書ける。物質ベッタリの各論に徹するべきで、間違っても「統一理論」などを目指してはいけない。

パラメータで稼ぐ
 それではモデル理論派には救いがないのか? ある。モデル理論で実験の解析をしている人は、パラメータの数を少しずつ増やしていけばいいのである。これなら同じ発想でいくらでも論文が書ける。モデルに含まれるパラメータが一つふえるごとに理論の価値は半減するのだが、そんなことは構っていられない。だいたい、パラメータが9つ以上あれば、どんな実験曲線でも正確に再現できることが知られているので、積極的にパラメータを増やすべきである。論文だってテンプレートを一つ作っておけば、ハミルトニアンに余分の項を付け加え、著者名を適当に入れ替えるだけでいいから、オートメーションで生産可能である。

次元で稼ぐ
 実験の解析をしない純粋理論派が論文を増産するのはなかなか難しい。ちょっとせこい方法だが次元で稼ぐというやり方がある。新しい理論を考えたら、まず1次元の場合について論文を書く。魔の次元である2次元は、泥沼でのたうち回ることの好きな人を除いては敬遠することにして、次は3次元である。ついでに∞次元やフラクタル次元もやっておく。これで3、4本の論文は稼げる。

大河ドラマで稼ぐ
 「○○相転移に関する動的○○理論 VII」などとやっていれば、最後までついて来る人はほとんどいないので、同じ話を何度繰り返しても分かりゃしない。レフェリーだってうんざりして通してくれる。同じような内容の論文をあちこちに書きまくれば、どこがオリジナルの発想なのか誰にも分からなくなるので、ますます好都合である。この手でほとんど無尽蔵に論文が書ける。

カネで買う
 何年か前のB学会誌の人事公募欄に出たあるプロジェクトのポスドク募集で、応募資格の項に「1年以内に●本以上の論文が書ける人」というのがあった。この論文はもちろんプロジェクトリーダーとの共著に決まっている。国から大きな額のお金をもらっている人は、とにかく洪水のごとく論文を排出することが最低限の義務になるので、このような「札束で論文を買う」という凄い発想も生まれるのだ。しかし、この方法は万人向きではないし、あまりにもナマナマしい話題なので、これ以上触れないことにする。

errataを書く
 最後の手段はこれである。errataだって論文リストに載せられるし、引用されればcitation indexも上がる。実際、本論文よりもerrataの方がよく引用されている変な論文もあるくらいだ。
 errataを書くためには、あらかじめ本編に間違いを書いておかないといけない。これには多少の技術を要するが、もっとも安直な方法は表題を間違えることである。まさかと思う人はつぎの論文を見よ。

Phys. Rev. Lett. 79, 959 (1997).

227人の共著者
からなるこのerrataの本文は次の1行である。コケるぜ、まったく。

The title above was incorrectly printed in the published article: Z^0 was omitted.

 論文を書いたら忘れずにerrata を書こう。これで論文数2倍増である。



 以上がK教授による「論文倍増計画試案」の要点である。これらの方法を組み合わせれば倍増はおろか、4倍増、8倍増も不可能ではない。こうして眺めてみると、オリジナルのアイディアなどぜんぜんなくても論文の大量生産が可能なことが分かる。希望の持てる結果だ!なお、K教授は「もっとよい方法があったら、こっそり教えて欲しい」と言っている。

[errata] よく数えたら227人ではなく、228人でした。

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